職業訓練大学校 建築学科(現)職業能力開発総合大学校 卒業
北斗建設株式会社 入社
株式会社核建築設計事務所 入社
一級建築士 合格
カク建築設計事務所 設立 代表
名星建設株式会社(現 株式会社イクス・アーク都市設計)入社
東京都新宿区新宿一丁目24番地において、
マンションの設計企画を中心とした株式会社アーバネット 設立
若手芸術家の発掘・支援・育成を目指した
アート・ミーツ・アーキテクチャー・コンペティション(AAC)開始
本社を東京都新宿区新宿一丁目5番地1号に移転。
株式会社アーバネットコーポレーションに商号変更
ジャスダック証券取引所上場させる
子会社 株式会社アーバネットリビング 設立 代表
アート・ミーツ・アーキテクチャー・コンペティション(AAC)活動が「メセナアワード2017」にて優秀賞受賞
個人として国土交通大臣表彰を受賞
東京証券取引所の市場再編により、スタンダード市場へ移行
代表取締役会長兼CEOに就任
株式会社ケーナインの全株式取得(連結子会社化)
本社を東京都千代田区霞が関三丁目2番5号に移転
領域に囚われず活躍し、
全体をプロデュースできる人材になってほしい
私は人の住まいを創る、という点に魅力を感じ、大学で建築を学びました。
当時は人口の増加や東京の過密化によって、東京の地価が上昇し、一戸建てを首都圏で建てることが難しくなってきていたことから、
今後はマンションが住宅の主軸になるだろうと考え、マンションの専門家になろうと決心しました。
私は比較的小さなデベロッパーの設計部に就職し、3年後に設計事務所に転職しました。
当時はまだあまり普及していなかった大きなコンピューターを見て、いずれは小型化して一人一人がコンピューターを持つ時代が来るのではないかと予想しました。
設計業務の多くがコンピューターに任せられる時代が来るのではないかと考え、設計図を早く綺麗に描く作業や建築の詳細図を描く作業に時間を割くのではなく、
マンションのデザインやマネージメントを勉強することに多くの時間を費やしました。
そして若いうちに独立したくて、一級建築士の資格を取って28歳の時に、設計事務所を開設しました。
その後、最初の会社の先輩と一緒に5人で新しい会社を興し、デベロッパーを目指しました。
私は№2として設計と営業を担当し、17年で60名ほどの設計企画会社に成長させることができましたが、
残念ながらデベロッパーにはなれませんでした。
そんな中、「いつかもっと大きな仕事をやりたいね」と語り合っていた高校時代からの親友が病に倒れ、
夢半ばでなくなってしまう出来事をきっかけに、「自分も若いころから夢見ていたマンションの専門家であるデベロッパーにならなくていいのか」
という思いが芽生えました。
そして47歳、1997年の年に、山一證券が倒産し、都市銀行であった北海道拓殖銀行が破綻するなど、
バブル崩壊後のもっとも景気が悪い中、現在の株式会社アーバネットコーポレーションを設立しました。
私は設計士であり、デザイナーでもあったので、「いいものを創る」ということには、特に自信があり、
それに専念すべくアーバネットを設立しましたが、当時は銀行自体が苦しく、貸しはがしの時代で、
設立したばかりの会社にマンション用地の土地代を融資することはあり得ない時期でしたので、
設計、企画、コンサルの仕事を中心に黒字を続け、資金を蓄積し、
マンションの分譲ではなく1棟で売却するビジネスモデルのマンションデベロッパー事業に参入するタイミングを計っていました。
そして、設立4年目に世田谷区用賀にマンション事業用地を見つけ、銀行の融資を受けて、第1号の事業をスタートさせました。
そしてそのマンションを、マンション販売の専門会社に1棟で売却することで事業は大成功しました。
その後始まったばかりのJリートや投資用不動産ブームの波にも乗ることができ、2007年にはジャスダック証券市場に上場を果たすことができました。
しかし、これから事業を拡大していこうというタイミングで、サブプライムローン問題やリーマンショックなど世界的な恐慌の嵐が日本を襲い、
多くのデベロッパーやゼネコンが倒産に追い込まれる状況で、当社も大きな痛手を受けました。
それまで買い貯めていた物件も手放さざるを得なくなり、大きな損失を被りました。
ただ、そんな状況でもそれまでの間に物件の購入申込みをしてくれていたお客様は誰1人としてキャンセルを申し出てこなかったのは、
当社のマンションを高く評価していただいたおかげだと思いますし、ひとえに、「いいものを創る」という信念を貫いてきた結果なのだと思いました。
本当に苦しい時期には、本来のビジネスモデルに囚われず色々な事業をやり、なんとかリストラもせず踏みとどまって、
その後の増収増益の成長につなげ、現在に至っています。
さらなる事業拡大を目標に、あらゆる領域に挑戦していきたいと考えています。
売上も今後5年間でかなり大きく成長する計画でいますし、不動産業界の中でも幅広い分野、領域に事業を展開していく予定です。
例えば、現在展開中のホテル開発も1棟目についで2棟目に着手していて、順調に事業が進んでいます。
さらには、介護付き有料老人ホームであったり、高齢者向けマンションだったりと、今後の日本社会において重要となるであろう、
シルバー対応の住まいづくりについても、アーバネットらしく「いいものを創る」ための計画が進んでいるところです。
「いかに働きやすい環境を創るか」が、私の最大の仕事だと考えています。
これまでさまざまなデベロッパーの社長にお会いしましたが、多くの方はカリスマ性があり、声が大きく、統率力があって、
自分の信じる方向に社員を引っ張っていくようなタイプの方が多かったですね。
そのようなリーダーシップには、短期間に大きく成長する要素はあると思いますが、
一方で周りがイエスマンばかりになってしまう危険性もあります。
私は、それでは会社は様々なアイデアや挑戦から生まれる成長ができないのではないかと考えています。
だからこそ、私は風通しがよく、働きやすい環境にこだわり、社員のみなさんが自由に発想し、挑戦しやすい会社づくりを進めています。
それが、最終的には会社の総合力を高め、「いいものを創る」ということに繋がるのだと信じています。
やはり自由さ、という点にあると思います。こうでなければならない、という固定概念や縛りもなく、積極的な提案やチャレンジを歓迎する社風です。
もちろん、挑戦には失敗もつきものですし、これまでも社員から様々な提案を受けて挑戦をして、いくつもの失敗もありました。
それでも中には、アウトレット事業や有料ホーム事業など社員からの提案がきっかけで、窮地を凌いだり、
新たな領域に展開することができたりもしていますので、これからもアーバネットではこの社風を大切にしていきたいと考えています。
アーバネットはまだまだ成長過程にある会社です。今後、社員数も増え、規模もさらに大きくなっていくと思います。
会社が大きくなっても、時代が移り変わっても、アーバネットでは「いいものを創る」ことにこだわり続けます。
常に、「販売力」ではなく「商品力」で勝負する会社でありたいと思っています。
そして同時に、「働きやすい環境を創る」、「みんながやりがいを感じられる会社」にこだわっていきます。
そんな環境の中で、皆さんには是非、自由な発想と挑戦を恐れない姿勢で、会社と共に成長してもらいたいと思います。
入社後に担当した仕事が自分に合わないと感じた時には、ジョブローテーションを行い、その人の才能を最大限に生かす工夫もします。
最終的には、決まった仕事や職種に囚われず、広い視野を持って、会社や社会全体をプロデュースできるような、
幅広い活躍ができる人材になっていただけたらと思います。
アーバネットコーポレーションは「人々の安全で快適な暮らしの提案を行い、豊かで健全な社会の実現を目指す」を経営理念に掲げ、 1997年に建築の設計、不動産の売買・仲介を主な事業として設立いたしました。設計事務所からスタートしたマンションデベロッパーとして、 機能性・効率性(=文明)とデザイン性・芸術性(=文化)を融合させた「ものづくり」へのこだわりと、東京を中心とした賃貸需要の高いエリア、 駅から徒歩10分以内という開発立地へのこだわりを持って、都市型賃貸マンションの開発・1棟販売(専有卸し:BtoB)という独自性のある 不動産開発販売事業を主軸としております。
2015年には戸別販売・賃貸事業等エンドユーザー向け事業(BtoC)に対応するアーバネットリビングを設立し、ストック型ビジネス拡大のため、 収益物件の保有を推進しています。また、近年、不動産開発販売事業において、従来からの卸先であるマンション販売会社だけではなく、 国内外の投資家、ファンドやリートなど、多方面への販売チャネル確保に注力しています。2020年には、ホテル・サービス業界への販売先多様化を 目的としてホテルを竣工、保有し、事業の多様化を図っています。 2022年7月には設立25周年を迎え、同年9月28日より、創業者である服部信治を代表取締役会長兼CEO、田中敦を代表取締役社長とする 新経営体制を発足いたしました。
これは、アーバネットグループがこの先50年、100年と永続的に成長し続ける企業となることを目的とした、次世代に向けた経営基盤の構築です。 これからも、アーバネットグループは持続的な成長と株主の皆様への利益還元を目標に、日本の「くらし」に新たな提案と貢献ができるよう 全力を傾けてまいります。